no tomorrow and no yesterday
STUDIO VOICE ONLINE
INTERVIEW vol.1 箭内道彦 クリエイティブディレクター
http://www.studiovoice.jp/interview/interview-yanai01.html
美術手帖2008年05月号
美術手帖の表紙に会田誠、Chim↑Pom、加藤愛、遠藤一郎が。購入を検討したが、やはり美術手帖は高い。
- 出版社/メーカー: 美術出版社
- 発売日: 2008/04/17
- メディア: 雑誌
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メイシネマ祭 2008
ユーロスペースでの上映に行き損ねてしまったドキュメンタリー映画「船、山にのぼる」がゴールデンウィークに開催されるメイシネマ祭で上映されるよう。ドキュメンタリー映画は見逃すと後悔することが多いので行きたいところ。プログラムを見ると他にも気になる映画が上映される。昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で大賞を受賞した王兵監督「鳳鳴(フォンミン) - 中国の記憶」など。
□メイシネマ祭 2008
5月3日(土祝)
5月4日(日祝)
- あもーる あもれいら 第1部
- ガーダ パレスチナの詩
- いのち耕す人々
- 花の夢 - ある中国残留婦人
5月5日(月祝)
船、山にのぼる
http://www.fune-yama.com/
メイシネマ祭 2008
http://homepage2.nifty.com/creatoise/maycinema/
I Feel It All
Feist - I Feel It All
わーーー、このビデオすごくいい。すてき。このビデオに在る「この感じ」としか言いようのない一瞬だけ訪れる「この感じ」を捉えられなくなってしまったら終わりだなあ。そう思うのです。花火もいいけど風で流されていく煙もいい。うしし。そんな気分になる。
Feist Official Site : http://www.listentofeist.com/
- アーティスト: FEIST
- 出版社/メーカー: POLYD
- 発売日: 2007/04/20
- メディア: CD
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彼女の鼻毛に東山魁夷を見る
最近あった素敵な出会い。
平日の昼下がり、横浜で友人と会う約束があり電車に乗って向かっていた時の出来事だ。約束の時間に余裕もあるし、天気もいい。ぼくは各駅停車の電車に乗って横浜に向かっていた。春らしい日和が気持ちよかったのか車内でいつのまにか寝てしまう。
つぎは〜 こがねちょ〜 こがねちょ〜〜
車内アナウンスでハッと目を覚ます。もうすぐ横浜かあ。寝過ごさないように起きていなきゃ。そんな時、黄金町から乗った女の子がたまたま俺の前の座席に座ったわけです。あ、かわいいなあ。そんなことを思ってその子の顔を見たらビックリ。
鼻毛が出ているんです。とても美しい鼻毛でした。今までに見たことのないような。
今までに見たことのないような、確かにそうなのだが、彼女の鼻毛にある種の既視感(仏:Déjà vu)を覚えた。この感じは何だろう。電車が戸部に着く頃だったろうか、やっと思い出すことができた。
鼻毛に感じた「美しさ」は、いつだったか横浜美術館で見た東山魁夷の絵から感じた「美しさ」と同じだった。ぼくはその時、東山魁夷の絵の前で4時間以上も立ち尽くし、いつのまにか閉館の時間になったことがあったんだ。そう、彼女の鼻毛に東山魁夷と同種の「美しさ」を見てしまった。
現実に戻り、電車は横浜駅に到着。ぼくの前に座っていた女の子は同じ横浜駅で降りた。ぼくの頭の中は彼女の鼻毛と東山魁夷のことでイッパイだった。改札を抜けたところで思わず彼女に声を掛けてしまった。自分でも自分の行動に驚いたが。まあ、鼻毛のことは言わなかったが、上手いことアレコレ言って彼女の電話番号とメルアドをゲット涙。俺すばらしい。
んで、先週の木曜日その鼻毛の彼女と飲みに行ってきました。相変わらず鼻毛は出ていて終始ぼくは彼女にうっとり。話は美術関係の話題になり(正確に言えば、ぼくが話を誘導した)好きなアーティストは誰ですかといった話題に。ここで更なる偶然、いや、もうこれは運命だろ笑。彼女、芸大の日本画を卒業で好きな画家は東山魁夷っていう笑。もうジョッキ片手にゲラゲラ笑いました。とにかくこの日は東山魁夷のことで盛り上がりすぎた笑。
そんな鼻毛の彼女と今日は東京国立近代美術館でやっている生誕100年東山魁夷展を見に行く予定です。いやー、もう興奮で眠れなくってこんな時間になっちゃいました。あー、楽しみ。遅刻しないようにそろそろ寝なきゃな。
ではでは、おやすみなさい。
生誕100年 東山魁夷展
2008年3月29日(土)〜5月18日(日) 東京国立近代美術館
http://higashiyama-kaii.com/
(以下ネタバラシ)
続きを読む美は存在しない
岡潔「春宵十話」を読了。
美が実在するというのはうそで、本当は美などはないのです。
情緒があって美が外に出るのであって、外に美があって情緒で受けるのではないということです。
(岡潔「春宵十話」より)
美とは万物に宿っている、ただ隠蔽されていて、それを発見できるかどうかなのだ、そう考える時期があった。だからか、赤瀬川原平の超芸術トマソンが自分に食い込んだし、マルセル・デュシャンという二十世紀の偉大な芸術家に改めて惹かれたりもした。それを上記の一文が反転させ消化を促してくれたように思う。美は万物に宿ってなどいない、私の中にある唯一の美が放出され、万物に宿る可能性だけがあるのか。そう考えると妙にしっくりくるような。ならばと、今、目の前にあるのただのガラスのコップに美が宿る可能性はるのか検討してみるのだが、美しいとは思えそうもない。ただのガラスのコップだ。今のところ。むむむっ、悩ましい。
- 作者: 岡潔
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廣瀬純講演会「物語=殺人、音=映像、資本=労働:哲学と映画との認識論的同時性」+映画「かつて、ノルマンディーで」
「わたしの人生は下手くそにモンタージュされ、下手くそに演じられ、うまくかみ合っていない吹き替え映画のようなものです。」これはマルグリット・デュラスの言葉だ。ピエール・リヴィエールもまたミシェル・フーコーに同じことを語り得たのではないだろうか。フーコーがリヴィエールに見出した「物語=殺人の装置」も一本の「吹き替え映画」をなしているのではないだろうか。ジル・ドゥルーズとフェリックス・グァタリが次のように書くとき、そこで問題となっているのもまた、下手くそにモンタージュされ、うまくかみ合っていないもうひとつの吹き替え装置あるいは二重化された装置なのではないだろうか。「マルクスが示すのはふたつの『主要な』要素が出会うということです。ひとつは脱領土化された労働者であり、彼は自由で何ももたない労働者となり、自分の労働力を売らなければならない。もうひとつは脱コード化されたカネであり、これは資本となり、労働者の労働力を買う能力をもっている。」(廣瀬純)
メモ。ニコラ・フィリべール「かつて、ノルマンディーで」の上映もあるようです。無料。
http://www.ifjtokyo.or.jp/agenda/evenement.php?evt_id=903