(メモ)他者によって規定される

共同化されるのは、つねに、われわれの私的幻想の一部でしかない。したがって、私的幻想の共同化によって成立する(擬似)現実は、つねに、われわれの精神の一部分を満たすに過ぎない。また、共同化されるのは私的幻想の一定の部分に固定する傾向がある。その上、どの部分を共同化するかに関しても、個人の選択の余地は少なく、共同化が許される部分は、あらかじめ他者(親、社会、文化など)によって規定されており、その規定外の部分を共同化しようとすれば、相当の抵抗がある。
岸田秀著「ものぐさ精神分析」より引用

共同幻想とは異なる部分になると思うが、「美しい」という抽象的な感覚について。例えば、「私が」「美しい」と感じる。感覚器官から得た情報を言語によって切り取り、そして区画することによって、初めて「美しい」と認識するに至る。前述の「言語によって切り取る」だが、この「切り取り方」というものは他者との関係性によって後天的に学習されたものではないだろうか。確かに私が美しいと感じているのだろうが、「私」も「美しい」も他者に規定されている。「私」に感じる「唯一」の気配に懐疑的に。メモ。


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